2015_08
04
(Tue)11:55

12月の鬼-6(記憶喪失の為の習作5)

ようやくここまで…

2015/8/4





「ただいま」

蓮の声は誰もいない暗闇に吸い込まれた。


付き合いだしてから、キョーコは蓮のマンションに実にまめまめしく来てくれた。
一緒に帰るときは勿論先に来て待ってくれている時もあったし、蓮のいない間に来て食事やら日向の匂いのするシーツやらの痕跡を残していくこともあった。
「無理をしないで」そう言った事がある。自分はキョーコを決して家政婦の様に便利遣いしたいわけではない。恋人として大事にしたいのだと。

「敦賀さんの気配がするから落ち着くんです」

そう言ってキョーコは笑った。台本を憶えるのも、勉強をするのも落ち着いて集中出来るから自分が便利遣いさせてもらっているのだ。そういって笑った。
そのついでに大事な人の体調管理のお手伝いも出来るのだから一石二鳥だと。
元々来てくれるのは大歓迎なのだから、そういうキョーコを拒む理由など蓮には無かった。
少しずつ増えていくキョーコの私物と気配は蓮をひどく幸福な気分にさせ、そうしているうちに自然と言うようになったのだ。彼女が居ようが居まいが「ただいま」と。

あれから1年半。この部屋にどんなに他人を寄せ付けなかろうとキョーコの気配は失せていく。
だけど、蓮は今日も告げる。

「ただいま」



■12月の鬼-6(記憶喪失の為の習作5)




ぷちんっと切られたテレビに蓮は苦笑した。

その社の行動が蓮を気遣っての事と分かるからだ。
テレビでは大物タレントの急死を取り扱っていて、彼が可愛がっていたという若手タレントが『最後に交わした言葉は…』と涙ながらにインタビューに応じているところだった。

「心配しなくてももうキョーコが生きてるってことは実感してますから。」
「いや…そうだろうけど…たまにしかあの公園もいけないし」
「それは仕方ありませんよ。スケジュールも詰まってるし、キョーコがバイトしてない日だってあるんですから。でも会えれば挨拶程度の会話なら出来てますし、本当に社さんには感謝しているんです」
「うん。…そうか」
「まあ、さっきのテレビ見てたら、事故前最後に交わした言葉覚えてないなって気付きましたけど」
「あの事故の日の?お前一言一句覚えてそうなのにな」
「一言一句までは流石に…。でも散歩しながら話したこととかは結構鮮明に思い出せるんですよね」

手を繋ぎながら歩き話した、仕事、天気、行きたいところ、好きなサンドイッチの具…どれも他愛もないことだが、それは今でもはっきりと思い出せて、ピクニック日和の天気や華やかなイルミネーションを見るたびに蓮の胸を温め同時に締め付けもするのだ。
だが、マンション自室の玄関で蓮を見送ってくれた時キョーコは何と言ってくれたのだろう?
確か…その日の晩御飯のメニューを教えれて…その後は…「行ってらっしゃい」か「お仕事頑張ってください」か、その両方だったのか。

*
*

「あの…もしかして敦賀蓮さんでいらっしゃいますか?」

暑くなったので注文したアイスコーヒーが殊更美味しい。そう思った時にかけられた言葉に固まった。
それをキョーコは否定と受け取った様だ。

「す、すいません!お客様に変な事聞いちゃって!!!」
「あ…いや…間違ってないよ。俺の事知らないのかなって思ってたから吃驚しただけ」

4月の終わりに初めて客として訪れて、今は6月の半ば。
帽子や眼鏡程度の変装しかしていない“敦賀蓮”に全く関心を示さないのは、記憶を失う前も芸能界のことは疎かったキョーコが蓮の存在を知らないのか、もしくは店員の慎みとして気が付かないふりをしているか、そんな風に思っていた。

「そ、その…確かに存じ上げなかったんです。」

申し訳なさそうにキョーコがぼそぼそと言った。

「テレビに出てるからって知らない人がいるのは当たり前だよ。」
「でも若手№1の俳優さんって聞きました。ドラマもCMもいっぱい出てるんだって…友達もみんな知っててましたし」
「それはありがたいね」
「本当に今更で…その…うちは母が家にテレビを置かない方針で…」

その言葉に一瞬息を呑んだが、表情はなんとか穏やかな顔を保った。

「そうなんだ。すごいね」
「そうなんです。でも…この前友達と初めて銀座に行きまして…」

ああ、と蓮は思い当たる。銀座にはアルマンディの日本本店があるのだ。

「ウィンドウに大きなポスターが何枚もあって…そのうちの全身像とあまりにも骨格が一致するので」

今度こそアイスコーヒーを吹き出しそうになった。

「敦賀さん?」
「あ…いや…なんでもないよ。成程、それでね」
「すいません。バイトとはいえコーヒーショップの店員としては知らぬふりをするのがマナーとも思ったのですが」

プロ失格と己を責めているのか、しょんぼりと肩を落とすキョーコに蓮は優しく笑いかけた。

「君はあれこれと言って回るようなタイプじゃないだろう?」
「それは勿論!」
「それなら全然かまわないよ。俺だって名前で呼んでもらえる方が親しみがわいてリラックスできるし」
「そうですか。よかった」
「でも周りに人がいる時は…」
「勿論名前なんで出しません!」
「じゃあお願い。君は…」
「最上です」
「そう、じゃあ…」

さりげなく、でも万感の思いを込めて

「最上さん」

ふわり、とキョーコは笑ってくれた。
その笑みに抱きしめたい衝動がわいて久しぶりに己の手を抱え込む。

「でも本当にお恥ずかしいです。私、演劇部に入ってるんですよ。それなのにそんな有名な俳優さん知らないなんて」
「演劇…部入ってるんだ」
「ええ、全くの素人ですけど、友達の付き合いで体験入部に行ったら私がハマっちゃって」
「演技の楽しさを知ってくれて嬉しいよ」

“最上キョーコをつくりたいんです”
そう大事そうに告げてくれたあの日のキョーコは今も蓮の胸に鮮やかにある。
だから今度は…最上キョーコを見つけ出して欲しい。そう蓮は祈った。

「演劇部でも友達の間でもドラマの話ってよく出るのに私全然入れてなくて、この前敦賀さんが話題に上った時『そんなに有名な人なの?』って聞いて笑われちゃいました。」
「知らないからって笑われる程有名じゃないと思うな」

苦笑しているとスマホが短く震えた。タイムリミットだ。

「そろそろいかなきゃ。今日も美味しかったよ。ご馳走様、最上さん」

キョーコはうなずいて、用意していた社の為のアイスコーヒーに素早く氷を入れ差し出してくれた。

「ありがとう」
「いえ…またのお越しをお待ちしていますね。敦賀さん」



“お帰りをお待ちしていますね。敦賀さん”


突然思い出した。

あの事故の日、蓮を送り出すキョーコが告げた言葉を。

満面の笑みで告げてくれたあの言葉
今日も帰ったらキョーコがいるのだと、胸に暖かいものを抱えてマンションを後にした。

(ああ…だからだか)

己の行動を理解する。
キョーコの気配がどんなに失せようとも、ドアを開けるたびに口にしていたあの言葉。

真面目で義理堅いキョーコ
蓮の帰りを待っていると約束をしたのだからきっといつか叶えてくれる。そう願って…それに縋って…唱える呪文。

いつか…いつかこの魔法にメルヘン好きの彼女がかかりますように。


だから今夜も蓮は唱える。

「ただいま」


(7につづく)
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コメント

Re: うっ切ない・・・

>ひろりん様
そうですね。いつかとびきりの笑顔で、と思います。
敦賀さんは呪文を唱えながら、自分自身を励ます魔法をかけているのかな、と思ったり。
次回から少しずつお話が動き始めます。またお付き合いくださいね。

2015/08/06 (Thu) 00:43 | ちょび | 編集 | 返信

うっ切ない・・・

キョーコちゃんに魔法をかけるのは敦賀さんで、かかった魔法でとびっきりの笑顔で“お帰りなさい”をキョーコちゃんに言ってほしいです。

“お帰りをお待ちしてますね。敦賀さん”のところから目頭が熱くなりました・・・・待つ身の敦賀さんに「頑張って」と心の中で応援することしかできないのが悲しいです。

2015/08/05 (Wed) 10:40 | ひろりん | 編集 | 返信

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