2016_03
01
(Tue)11:55

不器用エール(中編)

くだらないやりとりですいません。

2016/3/1




助手席側から後部座席に入ろうとした冴菜は、危うく叫び声をあげそうになった。
なぜなら運転席側のキョーコに敦賀蓮が覆い被さっていたからだ。

抗議の為に口を開けたところで聞こえたカチリという金属音で、蓮の動作がキョーコのシートベルトを締めるためのものだと知りだんまりを決め込む。だが何かしら気配を感じたのが蓮がこちらに顔を向けた。

「何か?」
「…いえ、別に。」

(いちいち紛らわしい仕草よね)

そんなことを考えて居るなどおくびにも出さずにシートに腰を下ろし、チラリとキョーコを観察すると、先程まで真っ青だったその顔は今は真っ赤だ。やはり距離が近かったに違いない。

敦賀蓮という俳優をよくは知らないが、事務所の女性職員にも人気が高く、よく話題になっているのを耳にする。「蓮はスクープほんとに出ないよね。」と先日も誰かが話していたし、冴菜だって耳にしたことがないからきっとスキャンダルの類は今のところ無縁なのかもしれない。だが、先程の体勢なんて撮りようによっては車内でキスしているようにいくらでも見えるのではないか?
紳士だかフェミニストだかなんだか知らないが、あんな誤解を招くような行動を普段から取っているのだとしたら、よくもまあ今までスクープされずにすんできたものだ。



■不器用エール(中編)



「いつもはこんなんじゃないんです…。」

走り出した車内の沈黙が重かったのか、キョーコが弱弱しい声で状況を説明した。
なんでも普段は軽い方なのに、疲れが溜まっている上に今日は一日中ドラマのロケが寒風吹きすさぶ公園であった。春ドラマなので制服はブラウス1枚にスカート、そして生足に靴下という衣装ですっかり冷えてしまったらしい。

「一応腰には貼るカイロとかつけてたんですけど…すいません。体調管理が出来てなくて。」

キョーコは冷えの恐ろしさを知らない。まだまだ若さで乗り越えられているかもしれないが、ある日気付けばひざ掛けがお友達になっているのだ。恐怖と予防法について懇切丁寧に説明したい。うずうずと湧いてくる欲求と戦っていると、赤信号で車を停めた蓮が振り返った。

「疲れが溜まっていたのは、このところスケジュールが詰まっていたからだろ?。」
「はい。」
「それに薄着で外に長時間いたのだって仕事だ。辛いのに仕事を全うしたんだから最上さんは頑張ったよ。謝ることじゃない。」
「…はい。」
「でもそんな時は仕事以外は移動はタクシー使ったり、早めに休んだりして無理しないこと。今日は暖かくして早く寝るんだよ?大事な身体なんだから。」
「有難うございます。」

弱弱しくも嬉しげに微笑むキョーコと、それを優しく見つめる男。なんだこの2人の世界は。

信号よ。早く青に変われ

冴菜は切に願った

願いかなって車が動き出すと、連は「眠っていいからね。」と恐ろしいほどの甘い声で告げて、再び運転に集中した。
ナビに頼ることもなく、キョーコに確認することもなく、迷いのないハンドルさばきで浅草方面に向かっていく。

(キョーコの下宿先に送って行ったことが少なからずあるってこと?)

確か大ヒットしたダークムーンで共演したことがあるから、その時にそういう機会が何度かあったとか?でも同じ事務所だからと言ってこんな人気者がそんなに気軽に共演者を送迎するモノなのか?

頭の中で盛大に開催されていた大議論会はキョーコのか細い声で終わりを告げた。

「…やっぱり電車で帰ります。降ろしてください。」
「何言ってるんだ。こんなところで降りたら凄い時間かかるよ?。」

冴菜も心の中で大きく頷く。この辺の最寄駅からでは下宿先には1本で帰れない。東京の乗り換えをなめてはいけない。乗り換え駅といっても名ばかりで、阪神(※1)なら1つか2つ先の駅に辿り着くんじゃないか?そんな距離を歩かされる時だってある。

「駅で少し休んだら大丈夫ですから。」
「最上さん。」

運転を続けながら口調が強まった蓮にキョーコは観念したように白状した。

「…このまま車乗っていたら吐きそうなんです…。」

シートや敦賀さんのコートを汚すなんてそんなの耐えられません。泣きそうな声で懇願するキョーコに蓮は小さくため息をついた。

「別にそんなの全然かまわないけど、それじゃあ最上さんが納得しないだろうから…車から降りれればいいんだよね?。」

そう言うと右折のウインカーを出した。


*
*


「どうぞ。」

キョーコが籠っているトイレの方向に意識を集中していると、テーブルにコーヒーが出された。
礼を言って受け取ると、着替えてくると断って家主は出て行き、馬鹿でかいリビングに冴菜は1人残された。

(なんなのこの異空間は)

現在、冴菜は芸能レポーター垂涎であろうゴージャスター自宅マンションに潜入している。
いかにも高級タワーマンション、といった地下駐車場に車が滑り込んでいった時から薄々予想はついていたが、ワンフロア占有の中身までハイクラスハイセンス。分譲なんだか賃貸なんだか知らないが、購入代金、不動産所得税に固定資産税、もしくは家賃、それに付随する管理諸費用云々を想像しただけで頭痛がしそうだ。
まあスターがいくら稼いでいようといくら使っていようと、そんなことはどうでもいいと言えばどうでもいい。問題は玄関に入るなり、キョーコが「ちょっとすいません」とトイレに走り込んだことだ。
トイレの位置を確認する事もなく迷うこともなかった。家主もそれを不思議とも失礼とも思わぬ様子。

(ま、さか。来たことがあるとか?若い男の1人暮らしの部屋に?)

なんて無防備な!
いやいや、1人で来た訳ではないかもしれない。共演者と一緒に自宅パーティに呼ばれたとか?

どこぞのスポーツ紙を飾っていた「芸能人の乱交パーティ」「ドラッグ蔓延する芸能界」なんて言葉が冴菜の頭の中で踊る。
うぬぬ、と眉間の皺を刻みながら口にしたコーヒーは、悔しいことに美味しかった。

暫くして戻ってきた蓮はラフながらもスマートな部屋着に着替えてきていた。手にはトレーナーらしきものを持っている。

「最上さんは?」
「まだ出てきてないわ。」

そうしているうちに廊下で人の気配がしてキョーコが入ってきた。随分ましになってきたもののまだ顔色は悪いしフラついている。この様子ではまた車に乗ったら悪化するのではと冴菜は気が気ではない。

「すいません。トイレ汚しちゃって…出来るだけ綺麗にしたつもりですけど…。」
「気にしないでいいって言ってるだろ?。そんなことよりまだ顔色が悪いよ。」
「大丈夫です。」
「さっき車に乗る前とあまり変わらない。今日はもう泊まっていけばいい。」

(え?)

冴菜の脳が停止している間にも、そんなんじゃだるまやまで持たないやら、あちらのご夫妻に心配をかけるやら蓮は次々に言い募る。さらに驚くべき点は「そんな」とか「ご迷惑ですから」とか言いながらも、キョーコがその提案に対してさしたる抵抗感を示していないことだ。

「泊まって行って。このまま帰すのは俺が心配だから。だるまやには社さんから連絡してもらうし」
「…分かりました。」

ちょっとまて。それでいいのか?
独り暮らしの男の部屋に?

「今のところは吐き気は治まった?」
「はい。」
「じゃあ、お風呂入って温まって早く寝るんだね。」
「え…でもお風呂なんて…」
「さっき状況だけ社さんに報告しといたんだ。お湯につかってしっかりお腹温めた方がいいらしいよ。汚すとかそんなのは気にしなくていいから。パジャマ代わりにこれ着て。」
「あ、このパーカー…前お借りした。」
「そう。あれから使ってないから綺麗だよ。ハーフパンツも新品だから。タオルとか適当に使って」
「有難うございます。」

大丈夫?歩ける?なんて親切げにいいながら、バスルームに促しているキョーコの背に置かれた手を払い除けに行きたい。そう思っていると蓮がこちらを振り返った。

「貴方はどうします?」

車に乗る前と全く同じセリフ。今度は「出来る事ならお引き取り戴きたいんですけど」と端正な顔に書いてあるというおまけつき。

「泊まらせていただくわ」

こんな不審人物と2人きりにしてなるものか。
眉間の皺を最大限にして睨みつけながら冴菜は宣言した。


(後編に続く)

※1 阪神 関西の大手私鉄阪神電気鉄道の事、駅間距離が短いことで知られる。平均1キロ、短い所では隣駅ホームまでの距離が300mなんてところもあるらしい。
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